今日の「ちょっとイイ譚・ウマイ譚」

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茱萸(グミ)

 梅雨入りして2週間。このところの数年、梅雨入り宣言後は必ずといっていい程晴天が続く。昔の梅雨は今よりもジトジトと長雨でジクジクしていた。小生の実家は百姓のため、この時期少雨だと困る。5月末から6月初旬は田舎の田植えの最盛期だ。小生が小学校に入る前まで、親父は馬で棚田の土を鋤いていた。弟は6月1日生まれで、次の日が田植えだったため稲生(イナオ)と名付けられた。小・中学生の時は本当によく農作業(野良仕事)を手伝わされた。新緑の葉もこの時期の長雨に晒されると、艶々としていてキラリと燦めく一瞬がなかなかいい。生命には水が必須なことがよく分かる。

 先日は西銀座通りの「ふく膳」で中学時代の同級生と一献やった。北浦獲れの本アラ(スズキ科、ハタ科のクエとは異なる)と、同じく北浦獲れの穴子を食した。

 “アラ”は冬が旬だが、冬には大阪や福岡で鍋物として消費されるため、宮崎獲れも県外へ流れる。小生は店にあれば一年中いつでも構わずにいただく。但し天然物に限る。成長が速い3kg位までのアラは養殖物もあるので要注意だ。アタマとカマ(鰓蓋に続く胸びれの部分)のコラーゲンたっぷりの部位に僅かの牛蒡を加えて酒、みりん、醤油で甘辛く煮るのがいい。山椒の葉が乗れば至極に申し分ない。これだけで焼酎3合は飲(い)ける。都会では高級魚として名高いが、宮崎ではリーズナブルな価格で提供してもらえるから嬉しい。

 梅雨時ひと雨ごとに旨くなるといわれるマアナゴは、店内の水槽で泳ぐ活きのいい60cmくらいのもの。「例年より大きめ」と大将曰く。その場で〆、背開きして肝もろとも炭火で炙った。腹側から先に焼き、こんがりとキツネ色になったものをワサビをチョビリと付けて食った。塩とタレ、山椒も試した。穴子にはキジ(雉)焼というのがあるが(「小笹」の雉焼きはあまりにも有名)、小生の焼きテクニックではキジ肉様の食感には程遠かった。次回は下処理も含め、水気の少ないパリパリで旨みの凝縮されたキジ焼の要領を大将に伝授してもらおう。

 ついでにこの時期、「夏魚の横綱」・鱧も旨い。鱧も「梅雨の水を飲んで旨くなる」と言われる、今が旬の食材だ。門川産の鱧は「金鱧」としてブランド化しており、京都に流れて名を馳せる。次回は「ふく膳」の大将に生きた鱧を〆てもらい、湯引きして素早く氷水で身を縮め、キッチリと骨切りしたものを、ハッキリと酸っぱい梅肉で、一杯やりたいものだ。いかにも涼しい。

 「ふく膳」(0985-31-3690)は西銀座通り、釜揚げうどんの「戸隠」の真ん前のビルの一番奥にある。天然ものしか出さない、旬にとことんこだわった、小生にとっては貴重な一軒だ。大将の福島久男(33歳)さんはじめスタッフも若く、一生懸命さがキリリと伝わる。大将は休みの日には山彦となり、山野を散策してはその幸(メグミ)を提供してくれる。未来の巨匠をドシドシ育ててほしいと切に願う。

 帰り際には大将が店外まで見送ってくれた。戸口の北郷町獲れの赤く熟れ、たわわに実ったグミの小枝を折ってもらい、帰りしな同級生と食った。家に帰って昔を懐かしみながらグミでもう一杯飲(や)った。

 梅雨は黴雨とも書く。旬の旨いものを食べて、身体にカビが生えないよう、脳みそがついえ(わるくなる、腐る)ないよう気を引き締めよう。そしてメグミの長雨になるよう祈ろう。

茱萸(グミ)2007年06月13日【3】

「天麩羅」

  “銀座の典座”こと・近藤文夫(「てんぷら近藤」の店主)が「山の上」で天麩羅を揚げていたころ、客の作家・池波正太郎は揚がりたてを間髪容れずに食するため、箸を持ったままその瞬間を待った。「天麩羅は揚げ物であるから熱いうちに食べねばならない。」と。

  この季節、天麩羅の種になるものは実に多い。車海老、鱚(キス=海のアユ)、穴子、鯒(コチ)、鮑(アワビ)、稚鮎、空豆、タラの芽、一冬越したさつまいも(丸揚げがオススメ)など枚挙に労しない。お茶の葉だって立派な種だ。

  天麩羅は、薄力粉と全卵、水、油があれば誰でも簡単に出来ると思いきや、中々奥が深い。例えばソラマメを数個、かき揚げ風に仕上げるのには相当の下積みが必要なことを、一度自分で試してみると分かる。素材が7割という天麩羅も、残りの3割が達人の極みだ。

  小生はもっぱら居酒屋嗜好のため、揚げたての天麩羅を、近藤文夫と池波正太郎張りに食することが出来る店を殆ど知らないが、一軒、それに近い形で提供してくれる店がある。

  屋号の粋な文字と暖簾、小さなイーゼル(easel)風の架台に載せた品書きなどシック(chic)な外観が店内の暖かさを連想させる「集(しゅう)」なる店(橘通東2丁目、0985-24-0788)。店主は美人の大将「あゆみちゃん」で、母上君と2人で切り盛りする。前回のコラムの大将(座王)同様に、趣味とグルメ放浪が高じて自分の店を開いたそうだ。魚類の衣はサクサク、中身はホクホク、プルルプルル・・・野菜類の衣はカリカリ、中はホクリホクリ、キャシキャシ、パリパリ・・・と玄人(失礼か?)顔負けの腕前だ。特にこの時季が旬でメニューの1つのキビナゴは、キシリと背筋を伸展して、十数匹が衣を橋渡しに、不思議な造型をなしている(褒め過ぎか?)。

  先達ては、小生の母上からクール便で送られてきた井手に自生しているセリ、裏山(里山)の古参竹、イワジ茶(学名が判りません。)、などを「集」に持参して揚げてもらった。端から端ではなく、箸から箸へ、そして小生の口から胃袋へ。この日のビールは格別美味かった。

  「集」では他にコラーゲンが凝縮された手羽焼き(ピリ辛が良い)、トンソクが女性客に人気だ。大のトンソク嫌いの我が嫁さんも「集」のだけは旨いとのたまう。実はそれには訳有りで、肌艶や皺が気になりはじめたのかと思っている。遅きに失することで、10年前ならなんとかなったかも知れないが・・・。
その他都城産の馬刺、観音池ポーク串カツ、たらこあんの湯豆腐、ささみチーズ春巻、玉子焼、日向産の蛤の吸物、9月から4月までのおでんも侮れず、オススメだ。

  1748年の「歌仙の組糸」に今日の天麩羅の形態(レシピ)を具体的に記述したものがある。「てんふらは、何魚にても温鈍の粉をまぶして油にて揚げる也。但前にあるきくの葉、又牛蒡、蓮根、長いも其外何にてもてんぷらにせんには、温鈍の粉を水醤油ときて塗付て揚る也。直にも、右之通にしてもよろし、又葛の粉能くるみて揚る猶宜し。」とある。

  因みに小生の好みの種の一番は小柱(バカガイの貝柱、鮨ダネのアオヤギはバカガイの足)のかき揚げで、これを「天茶」で食するともうたまらない。池波正太郎も言っているが、本物の天麩羅は結構いや相当の量食しても胃がもたれない。しばらくすると小腹が減るから嬉しい。

「天麩羅」2007年05月28日【2】

餅鰹

 この時季、小生の口腔内を涎一杯にしてくれるのは何と言っても青島獲れの「餅鰹」だ。釣り上げて4-5時間以内の死後硬直が解ける前の段階で食さないとダメだ。プリプリ、プルンプルン、コリコリ、いやいや文字通りモチモチか?
「目には青葉山時鳥初鰹」とは山口素堂(1642-1716)の句。「鎌倉を生きて出でけん初鰹」は松尾芭蕉(1644-1694)の句。二人は友人だった。まさか鎌倉から馬を疾走させて江戸に着いた馳走の「餅鰹」を二人で食したのか?
「たけのこ」の旬(10日間の意)は10日だから筍と書く。宮崎での「餅鰹」の旬は幸いにもこれより長く4月下旬から1~1.5ケ月。宮崎市内では意外にも焼き鳥の名店「座王」(中央通り0985-26-8864)で食する事が可能。年に数回しか入らないので“大将の高木さん”に電話を入れるべし。
「女房を質に入れても食べたい初鰹」もこの時期、時より耳にする。夫婦関係は“堅く”ない方がよいが、鰹はやはり堅い餅鰹のうちに噛んでやらないと名が泣く。

餅鰹2007年05月13日【1】

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